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研究報告要約

調査研究

31-120

目的

永井 拓生

 滋賀県近江八幡市は西側に伝建地区(伝統建造物群保存地区),旧安土町である東側に安土城跡,それらに挟まれるように美しいヨシ原に囲まれた西の湖が位置する他,人が在住する淡水湖中の島として日本で最大面積を有する沖島等,独特の伝統的文化景観や生活様式および自然景観の双方に恵まれた地方都市である。同市の日牟禮八幡宮の周囲に広がる旧市街地は伝統的建造物群保存地区に指定されており,水郷が巡る町並みは,かつての宿場町の様子を今に伝える貴重な観光資源である。しかしながら,近年,多くの古民家・町屋が空き家となっており維持管理が行き届かない状態にあり,老朽化による損傷等が表通りからも分かるほどに目立つ状態になってきている。したがって,これらの古民家町屋等の早急な保存処置,利用回復が緊急の課題となってきている。
 古民家・町屋等をテンポラリーなアートギャラリーや,カフェ,集会スペース等に転用する試みは,近年全国的に行われてきており,新築建物では持ちえない魅力が人気となっている。近江八幡市の旧市街地エリアにおいても,点在する古民家・町屋を会場として2か月間程度,現代アートを展示するイベント「BIWAKOビエンナーレ」が行われており,毎回5,000~10,000人が来場する人気イベントである。しかし,限られた期間のみのイベントであることや,大規模な作品展示が困難であること,アーティストの制作場所がないことなど,様々な不便がある。これには主として3つの理由がある。
 1つめは制度的な理由であり,同地区内の地面・地盤に何らかの杭や基礎を設けることができないこと,および建物に何らかの改良等を加えることができないことである。これらは,仮設とは言え制作物の安全性を確保する上で,非常に困難な工夫が求められることになる。
 2つめは観光地ならではの理由であり,伝建地区においては一体的な広いスペースを持つ建物・場所がなく,地区内の空き家等を利用して制作を行うことになる。その際に,制作作業やそれにかかわる搬入作業等が,地元業者や観光客の移動動線と交錯してしまうこと,そのために作業や活動を度々中断する必要があることがあげられる。
 3つめは,活動・制作場所の防災安全上の理由である。伝建地区の古民家町屋,特に空き家状態となっている建物は,老朽化,損傷が著しく,耐震性および耐火・防火安全性という観点から,極めて脆弱であると予測せざるを得ない。これは人名に関わることであるから,今後このような建築物を保存・活用していくにあたっては,最優先で取り組むべき課題だと言える。
 本研究では,これらの制限を踏まえつつも,古民家・町屋に対し現行の建築基準法における規定相当の耐震強度を付与させる工法の開発を行う。具体的には,伝建地区の建築物の大規模な改修等が制限される状況を鑑み,必要があればいつでも「原状への復帰が可能な方法」(Removable Seismic Reinforcement Technique)による耐震補強工法を提案する。原状復帰が可能であることにより,保存対象建築物の意匠や歴史性を傷つけることなく,様々な用途への転用が可能となる。本研究においては,特に古民家・町屋の木造架構や土壁等といった空間・意匠を活かしたアートギャラリーへの利用を念頭に置き,補強工法の開発を行う。

内容

 本研究で提案する手法は,補強対象の建築物とは独立した,非常に高い剛性を持つ構造ないし耐力壁を設け,これと建築物とをダンパーで連結して,建築物の地震時の振動エネルギーを散逸させようというものである。例えば,絵画やアート作品の展示壁・展示台といった適当な面積を持つ壁状の躯体に,ダンパーを介して建築物に生じる地震力を負担させるシステムである。
 このシステムにおいては,鉄骨や鋼板,CLTパネル等の展示台・展示壁等を直下の狭い範囲に設けられた基礎(鉄骨または施工が可能な場合は鉄筋コンクリート)に固定し,既存の木造建築物とダンパーで連結することにより,「比較的柔らかい既存木造建物」と「変形の小さい頑強な展示什器」との間の大きな変形差を利用して振動エネルギーを散逸する仕組みである。地震力の大半を新設した展示什器が負担するため,既存建物に対しては,直接的な補強工事,加工を最小限に留めることが可能となる(部分的な土間の解体は必要となる可能性がある)。
 独立耐力壁の構造としては,CLTパネルは鉄骨と比べて軽量であり,かつ高い面内剛性を有するため,このシステムに適した材料だと考えられる。また,木質材料であるため,作品展示やそのものへのペインティングも可能であるし,イベントごとに同サイズのものに取り換えることも可能である。本研究では,独立耐力壁としてCLTパネルを用いることとし,CLTパネルと連結ダンパーによる制振方法を「連結制振システム」と呼ぶことにする。
 本研究の内容は,同システムの提案を目的としたものであり,1.連結制振システムのモデル化およびダンパー配置等の設計手法の提案,2.実在する補強対象建築物の振動特性の同定・モデル化,3.同建築物を対象とした制振設計例の提示,を行う計画とした。なお,本研究では伝統木造建築物の1形式である「土蔵」を連結制振システムの適用対象とした。この理由は以下の3点である。
①大きな断面の貫を持たない,民家等の伝統的木造建築物の主たる水平抵抗要素は「土壁」であるが,土蔵も同様に木造軸組みによる水平抵抗の割合が小さく,構造全体の耐力・剛性において,土壁の性能が支配的であること。
②土蔵は多くの場合,1室空間を外周4面の壁で取り囲んだ形式であり,耐力壁も同様に外周4面のみであるという特徴がある。したがって,土蔵は平面の外周4辺上に,各1つずつ水平抵抗ばねを持つような,単純な剛体-ばねモデルとしてモデル化できる。
③一般に瓦葺きで屋根重量が大きく,大地震時に大きな地震力を生じるものが多い。また,伝統的木造建築物の密集地域には多く存在し,検討対象として一般性が高い。
 また,制振補強シミュレーションの対象とする建築物以外にも,築年数の長い木造建築物の振動特性と老朽化・劣化状況との関係,および,それらの建築物の耐震補強改修前後の振動特性の変化等についても,本研究の一貫として調査を行った。

方法

1.連結制振システムのモデル化
 本研究では,伝統的木造建築物の中でも,特に土蔵にフォーカスする。本章では,土蔵のモデル化,および土蔵を含めた連結制振システムのモデル化について示し,運動方程式を導く。また,重心と剛心に偏心がない場合(1方向モデル)を例として,連結制振システムによる付加減衰効果の程度と,実現性・現実性の検証を行った結果を示す。
 本システムは,補強対象の伝統的木造建築物と,新たに設置する独立耐力壁とを,連結ダンパーを介し接続し,地震力の多くをその独立壁に負担させ,建築物の制振効果を得る方法である。新たに設置する独立耐力壁は,建築物に比べ非常に高い剛性を持たせる。
 本研究では,独立耐力壁の構造として,面内剛性の高いCLTパネルを用いる。このパネルは,屋内に展示壁やパーティションとして設置し,これと既存躯体の高い位置(軒高程度)で粘性ダンパーを用いて連結する。この時,CLTパネルの配置はダンパー力が面内方向に作用するように配置する必要がある。また,CLTパネルは既存躯体と独立して設置されるため,既存躯体と内部意匠のいずれも損なわず保存することが可能であり,雨水対策を施せば外部に設置することも可能である。またCLTパネルは必要とあれば撤去することで補強前の状態に復元することができる。
 土蔵は平面外周の4辺上に,面内方向の水平抵抗要素(土壁)を持つシステムとしてモデル化できる。したがって,主系は土蔵の慣性と4つのばねとして表される。また,CLTパネル(副系)は単純化のため,壁や接合部等を含む全質量を1質点として集約した1質点系でモデル化する。土壁は弾塑性ばねとしてモデル化する。ダンパーはVoigtモデルとし,各方向に1か所のみの設置とする。
2.連結制振システムの最適配置
 本研究で対象とする建築物モデルは,X-Yの2方向の並進に加え,回転成分を含む3つの変位自由度を持つモデルである。重心と剛心の座標が異なる場合,連結ダンパーの減衰係数や設置位置に対し,地震応答の低減効果は大きな影響を受ける。したがって,連結ダンパーの設置にあたっては,応答低減効果を最大化する,設計上最適な位置が存在すると考えられる。そこで,主系の地震応答が線形範囲である場合を対象とし,応答低減効果が高い連結ダンパーの最適配置を決定する方法を検討した。
3.土蔵建築物の振動特性の同定
 土蔵の制振補強設計は運動方程式に基づき行うため,土蔵の振動特性をなるべく正確に把握することが重要である。ここでは,常時微動測定により建築物の振動特性を推定する手順と,手法の有効性を検証するためのシミュレーション結果を示した。
 振動特性を表す物理パラメータは,剛体振動モードの周波数とモードベクトルから推定する。この際,剛体振動モードをいくつ同定できたかにより,物理パラメータの推定方法が異なるため,各方法の推定精度の比較も行った。
4.土蔵建築物の制振補強設計シミュレーション
 上記までに示した手法を用い,実在する土蔵建築物の常時微動測定,振動特性パラメータの算出,制振補強設計の設計例の提示,を行った。

 なお,当初計画において,制振システムの試行的実建設および振動測定実験を予定していたが,当初年度(2019年度)は諸事情により建設を延期,2020~2022年度はコロナ禍および建設資材の高騰により,実施することが困難となってしまった。このため当初計画を変更し,制振補強対象建築物だけでなく,その他の複数の木造建築物の微振動測定を行い,振動特性の同定に特に注力することとした。

結論・考察

 本研究では,伝統的木造建築物に対し,建築意匠や構造躯体になるべく変形,加工を施すことなく制振補強を行う方法として,剛性の大きな独立耐力壁を建築物の内外に設け,ダンパーで建築物本体と接続する連結制振システムを提案した。特に,土蔵建築物を補強対象モデルとし,独立壁としてCLTパネルを用いた「連結制振システム」の具体的なモデル化を行った。また,建築物の振動特性の同定,制振効果の検証,ならびに設計例を通じた実現性の確認を行った。以下に成果の概要をまとめて示す。
(1)連結制振システムのモデル化を示し,支配方程式を導いた。また,重心と剛心の間に偏心がない1方向モデルを用い,簡易的な方法で,制振効果の検証と設計例を示した。
(2)連結ダンパーの設置位置の応答低減効果への影響を考察した。また,偏心が比較的小さいモデルにおいては,簡易的な手法で連結ダンパーのパラメータを決定しても,高い制振効果を得られることを示した。
(3)補強対象とする建築物の振動特性を同定する方法を示した。複数の剛体振動モードと一般逆行列を用いることで精度の高い推定が可能になる。一方,建築物の状況によっては剛体振動モードが正確に得られない場合もあり,また,屋根構面を補強する,もしくは観測点を増やすといった工夫が必要となる。
(4)実在する土蔵をモデルとし,常時微動測定による振動特性の同定,土壁の復元力特性のモデル化,実地震波を用いた時刻歴応答解析による応答解析を行い,連結制振システムの具体的な設計例を示した。
1方向モデルと多自由度モデルでは,重心位置における応答は大きく異ならないが,多自由度モデルでは連結ダンパーの配置により耐力壁の負担応力が大きく変化する。このため,多自由度モデルによる検討が必要かつ有効である。また,本研究で使用した土蔵のモデル建築物では,クライテリアを満足するような連結ダンパーの設置位置が狭い範囲に限られており,他の地震波や,振動特性の不確定性に対し,設計結果が十分なロバスト性を持ちうるか,検討が必要である。

 以上の結果から,今後は以下の点で研究が必要である。
①常時微動測定から建築物の振動特性および復元力特性を正確に把握する手法の開発
 土壁については,現在までに多くの載荷実験や,実建築物を利用した実験が行われてきており,それらの研究成果を統計的に分析することで,現実的な復元力特性のモデル化が可能と考えられる。また,常時微動測定による微小変形領域の接線剛性から,骨格曲線や履歴特性,および劣化程度を推定する研究も行われてきている。これらの成果を統合すれば,より現実的なモデル化が可能であろう。
②建築物モデルおよび入力地震波等の不確定性に対するロバスト性の高い設計手法の構築
建築物の振動特性を完全に正確に表すモデルを作ることは不可能であり,また入力地震波による応答の変動も大きい。したがって,これらの変動に対し鈍感な設計手法の構築が必要である。
本研究で得られた結果のみから見出せる展望としては,連結ダンパーの容量(減衰係数)を大きくすることと,建築物の偏心率を小さくすることである。偏心率の操作は,建築物の躯体自体を補強せざるを得ないことが多いため,これを最小限にとどめる方法を検討したい。
③試験的施工による制振効果の検証
 実在する建築物を対象とし,実際に本システムを設置して,振動観測等を通じて制振効果を確認する。本研究では建築物の屋根構面は完全な剛体を仮定しているが,多くの伝統的木造建築物においては剛体モードのみが支配的とは限らないし,屋根構面と連結ダンパーの間での応力伝達も効率化しなければならないため,屋根構面のある程度の補強は必要となろう。
 剛体が仮定できない場合にどの程度の制振効果の低減があるか,屋根構面はどの程度の補強が必要か,といったことについても,試験的施工の機会を得て確認を行いたい。

英文要約

研究題目

Development of removable seismic-reinforcement technique for the purpose of renovating old wooden houses and townhouses into art galleries in preservation district for groups of traditional buildings.

申請者(代表研究者)氏名・所属機関及び職名

Takuo NAGAI

Department of Architecture and Design, School of Environmental Science, The University of Shiga Prefecture, Lecturer

本文

In this study, as a method of damping reinforcement for traditional wooden buildings without deforming or processing the architectural design or structural frame as much as possible, we proposed a “coupled vibration control system” using CLT panels as independent walls. In addition, we identified the vibration characteristics of a building, verified the damping effect, and confirmed the feasibility through design examples. A summary of the results is shown below.
(1) We modeled the coupled damping system and derived the governing equations. In addition, using a one-way model with no eccentricity between the center of gravity and the center of rigidity, a simple method was used to verify the damping effect and show design examples.
(2) The influence of the installation position of the coupling damper on the response reduction was considered. In addition, in a model with relatively small eccentricity, it was shown that a high damping effect can be obtained even if the parameters of the coupling damper are determined by a simple method.
(3) A method for identifying the vibration characteristics of a building was presented. A highly accurate estimation is possible by using multiple rigid-body vibration modes and a generalized inverse matrix. On the other hand, depending on the condition of the building, the rigid-body vibration mode may not be obtained accurately, and it is necessary to reinforce the in-plane stiffness of roof or increase the number of observation points.
(4) For an actual storehouse as a model, we identified the vibration characteristics by microtremor measurement, and modeled the restoring force characteristics of the soil wall, and performed response analysis by time history response analysis using actual seismic waves. And a typical design example is shown. The response at the center of gravity position does not differ greatly between the one-direction model and the MDOF model. However, in the MDOF model, the stress on the load-bearing wall changes greatly depending on the arrangement of the coupling dampers. Therefore, MDOF model is necessary and effective.

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